相続のときに私の遺産はどれほどあるのか。

相続はその本人がなくなってなら行うのが当然である。しかしどのような相続を行うかは、本人が生きている間に行うのが賢明だと私は考える。少なくとも私はそうしたい。自分が死んでから相続で子供たちがいろいろ面倒な話し合いはしてほしくない。できるならそういう話はできるだけ簡略化してほしい。しかし、面倒な話し合いになる程、私は遺産はあるのだろうか。
遺言は遺言無効事由がないことが認められて効力を持つということです。遺言が方式を欠くときには遺言無効事由に当たるそうなので、方式を欠かないように作成しなければいけないですが、その方式とは何かと言うのは、法律を勉強しなければ知ることができません。そして法律を知ったとしても正く作成されているかどうかの不安は残るので、そのことに詳しい人にそばにいて欲しいと思うのではないでしょうか。
 「避難所の朝は黙とう名残雪」「見下ろせば残がいの海広がりて裏山に咲く一輪の木瓜(ぼけ)」

 津波で家を流された岩手県大槌町新港町の小国チヱ子さん(63)は町立安渡小学校体育館に夫(65)、長女(35)とともに避難し、短歌、俳句を作ることを自らの支えにしながら過ごしている。

 小国さんは、作歌歴6年。毎日新聞岩手面の文芸欄でも「常連」的な存在だ。愛犬と大槌川河口付近を散歩している時に地震が起きた。経験したことのない激しい揺れに「津波が来る」と直感し、家に逃げ帰った。取りあえずの貴重品などを持ち出し、サンダル履きで犬を連れて高台に避難した。自宅が流されるのを見るのが怖くて、顔をそむけていたという。夫も先に避難し、漁協に勤める長女も無事だった。

 小学校には家を失った300人余が暮らす。毎朝、校庭に出て犠牲者に黙とうをささげる。体育館で家族3人が肩を寄せ合い、寒さをしのぐ。亡くなった友人、自らの将来のことを思うと眠れない。

 「眠れずに夫の寝息を聞きながら星空見上げ朝をむかえぬ」

 避難所では、歌や俳句を紙片に書き留めている。はがきでの投稿も始めた。当面は仮設住宅に入れるのを待っているという。

 「句や歌は思いをぶつけられる。避難所でもずっと詠んでいきたい」と話している。【鬼山親芳】

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 東日本大震災で壊滅的被害を受け、住民の半数以上が避難所で暮らす宮城県南三陸町で3日、住民の集団避難が始まった。この日の出発は集団避難が決まった1100人のうちの約500人。「ほっとした」「いつ町に戻れるのか」。住民らは移転先で落ち着きを取り戻す一方、将来への不安を抱きながら異郷の避難所での生活に踏み出した。(桜井紀雄、荒船清太、中村翔樹)

 3日午後、南三陸町に隣接する同県登米(とめ)市の避難先に到着した主婦の佐藤由美子さん(39)は、トイレを出て水道の蛇口をひねった瞬間、「出た」と大声を上げた。

 同市は廃校になった旧鱒渕(ますぶち)小学校の校舎を避難所として提供。かつての音楽室が丸々、佐藤さん一家6人にあてられた。1歳の凛歩(りほ)ちゃんをあやしながら佐藤さんは「子供は怖い夢を見るのか毎晩泣いていた。周りの避難者に気兼ねしなくて済み、ほっとしました」

 港町の南三陸町と違い、周辺には山と田畑が広がる。津波の記憶が生々しいだけに「海が見えないだけで安心します」。

 2階の教室を5世帯で使うことになった介護福祉士の及川恵さん(40)は「みんな一緒で安心です」と話しながらも、4月から小学6年と中学3年になった息子2人の今後の心配を口にした。「避難は今のところ9月まで。10月にまた転校するのは避けたい。町の避難所で引っ越し先を探した方がよかったかも…」

 南三陸町では3日午前10時ごろから集団避難に出発する住民が、町内各地の避難所から町の仮庁舎が置かれた総合体育館にいったん集まり、バスや乗用車で同県栗原市や登米市など4市町にある公民館や温泉施設など9施設に向かった。

 「皆さんを一日も早く必ず迎えに行きます」。佐藤仁町長は出発前のバスを回り、こう言葉を掛けて送り出した。

 同町は、津波で7割の住宅がほぼ全壊。住民の半数以上の約9400人が避難所で生活しているが、役場が津波にのまれ、行政機能が低下している上、電気や水道の復旧も進まず、仮設住宅が完成する9月ごろまでの間、町が集団避難を呼び掛けていた。

 だが、集団避難に応じたのは、約1400人にとどまった。このうち、高齢者らを優先して1120人に移転先を提示。しかし、登米市など近隣地域への移転希望が集中し、20人は「希望に合わない」とキャンセルを申し出た。

 県内陸部に位置する栗原市の宿泊施設「伊豆沼ウェットランド交流館」。ここに入居した木下勲さん(63)は「バラバラになっていた家族と思いがけず暮らせるようになったのはうれしい」と顔をほころばせた。以前は別に暮らしていた息子夫婦や孫と合わせ家族8人に1室があてられたからだ。

 ただ、こういって表情を曇らせた。「故郷からは少し遠いし、潮の香りがしないことは慣れない。故郷にいつか帰るという気持ちは変わらない」

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